絵を描いてると高確率で自己批判に陥ってしまうことがあるよね。
そのせいで絵を描く事が嫌いになってしまったり辛くなってしまったりすることも少なくはないと思う。
今回は、絵描きに向けた正しい自己批判のやりかたを教えていくね。
ではまず本題。
自己批判はなんの意味もない。
初っ端から意味不明なことを言ってるなとイライラした人は正解。
自己批判なんて、意味ないよ。
時間の無駄。脳疲労の元。諸悪の根源。
いやでも、それじゃ成長できないじゃん..と思った方。
たぶん高確率で燃え尽き症候群に足突っ込んでいつか爆死します。
私自身、過度な自己批判タイプで自分のメンタルをもはや億キルしてきた人間なんだけどやっぱり長くは続かなかった。充電20%を延々に繰り返してる感じ。自分を奮い立たせては直ぐにまた充電切れを起こすような、そんな感じ。
ちゃんとしなきゃ、うまく描かなきゃってストイックな振りまでして。
それで何となく良い自分でいられたような気がしてもあんまり楽しくはなかったかも。いや、確実に。いつも何かに急かされて焦燥感に駆られてるような生活がただ辛かった。
自己批判なんてしなくても、絵は上達するし物事は上手くいくから大丈夫。
なんとなく日本は根性論というか努力の結晶やら精魂尽きるまで働き詰めることが美しい、頑張ってることが素晴らしいなんていう努力至上主義的な風潮があるよね。
それら全て否定するわけでも日本は最悪..なんて的外れなことをいうつもりはないよ。要するに頑張ることに意識を向けすぎないことが良いんじゃないかと私は思う。
でも何故か汗水垂らして、それこそ命を削って作品を作り上げることがどこか美化され全く同じ作品だとしてもそちらの方を高く評価される傾向にある。
楽しんで作ろうが、ささっと描こうが作品の出来が同じなら同じ。なら無理に苦しんで描く必要はないんじゃないってのが私の考え。..なんだけど、中々難しいよね。私もいつもそういう風に考えられるわけじゃない。
だからあくまでもこれは正論。ただ、こういった考えを持つのは引き出しとして役に立つと思うから片隅にでも覚えておくのも良いかもしれない。
そして、これまた本題。
自己批判と作品に対しての批判が混合してしまうばかりに、本来の問題が自分にまで投影されてしまうことも大きな原因。
作品においてどこがダメだったのか、それと自分がダメだということは全然別。
だんだん上達してきた上で、絵を楽しんで描く段階から自ら絵を批評する段階に移っていくと思うんだけど、そこでこうした作品の批評が自己批判に繋がってしまうことがよく起きるように思う。
作品の講評を受けて、『ああ自分はダメなんだムカつく自分はミジンコごめんなさい』と思ったあなた。黄色信号です。休もうね。
自己批判をやめる事は、自分で決めて自分でやめないといけない。
私がいくらそんなことしなくたって素敵だよ、ありのままで良いんだよって伝えてもきっとそれは一瞬の効果に過ぎないと思う。珪藻土並みに速さで乾いていくんだろうね。相手の言葉なんてそんなもの。私も等しくそうだったから。
結局、自分自身の解釈の中で生きていかなくちゃいけないし自分が自分にレッテルを貼ってる以上それ以上の効果は見込めない。
だけど、自己批判的な自分に気付いた事がとても大きな進歩だと思うよ。その事自体が凄いことだし自信を持って欲しい。
絵におけるミスは結局、ただのエラー。
機械やHTMLを弄ってる方は良く分かると思うんだけど、ほんとに小さなスペルミスでもレイアウトが崩れたりバグが起きたり。
ちょっと想像してみて。エンジニアが、1文字のコードミスで頭抱えてもうダメだ自分は○んだほうがマシ..なんて言ってたら”いや、何大袈裟なこと言ってんの”って呆れちゃうよね。
そんな風に客観的に想像してみるのも良いと思うよ。本当に小さなことで自己批判に繋がるようなミスじゃないことも多いから。
いかに楽をして絵を描くか。いかに工程をサボって最高の出来を叩きだすかに注力してみると良いかもしれない。
自己批判よりも冷静なトライ&エラーこそが目指す結果に繋がる方法だと私は思う。だからこそ頑張り過ぎず、責めすぎず。ハワイでまったりお絵描きをする気分で絵を描いてみてね。
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