私は高3の冬、初めてイラストを描きました。
夜中まで描くことも多くて、気づいたら朝になってた、みたいな日もよくあって。
あのころは、描くことに迷いがなかったんですよね。
好きで、夢中で、ただそれだけでした。
なのに気づいたら1万時間以上を、ゲームとSNSと掲示板に溶かしていました。
イヅミ シキこれはそんな私のお話です。
最初は、好きで描いていた
高3の冬にイラストを始めて、そこからデジタルや油彩と広がっていきました。
夜中まで描くのも、寝ることさえも惜しかったのもよく覚えています。
描いているとどんどん成長していって、それがとても楽しかったです。
それから絵は、自分の核になりました。
しかし、いつからか限界を感じて。
じわじわと、描かなくなっていきました。


逃げていた先は、ゲームよりSNSと掲示板だった
朝から晩まで、ずっとスクロールしてて。



狂ってたな、と思います。今振り返ると。
別に楽しかったわけじゃないんですよね、半分は。
でも手が止まりませんでした。
絵を描かない時間に、思考の空白ができる。
その空白に耐えられなくて、SNSや掲示板で埋めてました。
絵よりずっと速く、ずっと簡単に、頭を満たしてくれるから。
そっちに慣れると、絵みたいに「すぐに結果が出ない」ものに向き合うのが、どんどん難しくなっていくんです。
テンションが上がったときも、逃げてました
自分でずっと不思議だったことがあって。
落ちているときに逃げるのは、
「しんどいから」「考えたくないから」っていう理屈が通りますよね。
でも私は気持ちが上がったときにも逃げてたんです。
「絵、描けそう!」って思った日に限って、SNSを開く。
面白そうな本を手に入れたのに、読むのに何日もかかる。
完成させれば良いのに。終わらせれば良いのに、なぜか別のことをしていました。
心理学的には「感情調整不全」に近い状態らしくて。
強い感情って、喜びでも不安でも、うまく処理できないと逃げ場を探すんですよね。
ワクワクと不安って、体の反応としては実は似ているみたいです。
心拍数が上がって、ソワソワする。
それを「楽しい」と読むか「怖い」と読むかは、自分の癖による。



私の癖は、その興奮を「怖い」に変換することでした。
歳をとるにつれ怖くなって、なのに傷つきにいってた
これが一番、うまく言語化できていなかったことですが。
年齢を重ねるほど、「描いていない時間」が重くなるんですよね。
なのに、その怖さにあえて近づいていくことがありました。



よくこういう人とかいますよね。
お金がギリギリなのに使い倒す。
やばいってわかってて、やめない。
どうなるか予測できてて、止まらない。
精神的な自傷に近い感覚だったと思います。
「どうせ無理だ」「もう遅い」っていう感覚に、あえてダイブしていく。
自分でそれを選んでいる。おかしいとわかってて、やっている。
なんでそうなるのかを完全に説明する言葉は、まだ持っていませんがそうした感覚は確かにありました。
怖かったんだと思います、本気でやってダメだったら。
一番の本音はここかもしれません。
絵を本気でやりたかったからこそ、それに失敗したら終わりだと思ってたんですよね。。
だから「本気でやっていない」状態を保つことで、自分を守っていたのかもしれません。
いわゆる「セルフ・ハンディキャッピング」というものですね。
失敗したときの言い訳を、あらかじめ自分で作っておく心理のことです。



酷い時期は、Pinterestも開けませんでした。
インスタで絵のリールが流れてきたら、全部スキップ。
見ると、描いていない自分と向き合わされる気がして。
でも絵を描くと、不思議なくらいSNSもゲームもどうでも良くなるんですよね。
それは今でも変わりません。
でも現実は、逃げても来る
今、バイト先で嫌なことがあるたびに思うんです。
自分がこの景色を作ったんだって。
時間もお金もあったあのころ、わかってて逃げていました。



だから今、そのツケを払っています。


1万時間あったら、景色は違っていたかもしれない。
それを想像するとつらいですが逆に言えば、今からの時間で景色を変えられるってことでもある。
逃げた1万時間は取り戻せません。



たとえ今から全力で描いたとしてもあの頃を埋めることはできない。
それでも今日から努力しない言い訳にもなりません。
これを読んでいる皆さんにも、「やりたいのに、できない」はありますか?
それはたぶん、意志が弱さだけではなくただ、怖いのかもしれません。
本気でやって、ダメだったときのことが。
その怖さを私は1万時間かけて誤魔化してきました。
でも現実は、逃げても来る。



それだけは、身をもって証明できます。



ゲームも遊びもやることやったあとが格別だな。




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