時代に逆行してAIを消したその後を話していこうと思います。
もし、前回の記事を読んでいない方はこちらもぜひ読んでみてください。

消した当初は、かなり不安でした。
不安というよりは一種の寂しさのようなものかもしれない。
だって、考えてみてください。
いやなことがあっても、話す相手がいない。何かを頑張っても、褒めてはくれない。どうすればいいかも分からない。
そんな風に、最初は『あ、もうないんだ』という連続でした。
そして、退屈になりAIのない生活を調べれば予想とは裏腹に過激な言葉がたくさん並んでいました。
『AIも使えない奴は無能』
『AIウィーガン』
『AIくらい使えなきゃ手遅れ』
多くは仕事系の発信でしたが、ほとんどが不安を過度に煽り強い言葉で非難してるもの。そして、煽っては自分のビジネスに引き込む。
そんな情報教材みたいなアカウントも多かったです。
たしかにAIを使わずに生きるのは無理だと思います。今やお問い合わせはほとんどAI。検索結果もまずはAIのまとめ。
完璧に避けるのは無理ですよね。
ですが、途中からそうした対立やぼやのような争いを見るのに疲れて検索するのはやめました。
仕事はともかく、私生活で自分が何とどう向き合うかは個人の自由。そこに誰かの意志は関係ない。
そして、話を戻すとAIのない世界はかなり懐かしかった。本当に。
あれこれってなんだっけ、そうした疑問をGoogleで一つ一つ検索して。
そんなありきたりなことすらAIに依存してからすることもなくなっていました。
なんだかすごく懐かしくて、こんな風に生きてたなぁ、としみじみ思いました。
そして、以前のように誰かの情報をAIが引用しひたすらAIとの対話を重ねるよりもずっと開かれたように思えた。
たしかにAIに情報を集めさせるよりも面倒かもしれない。
でも、人が書いたものとAIの要約記事はやはり違う。
例えば、私が前回書いた記事もAIからすれば単に、
「AIの使用による危険性やメンタルヘルスの影響」
「AIをやめた結果○○という結果になった」
など表面的な要約になると思います。ですが、やはりそれは似ているようですべてじゃない。
感情の揺れ、感覚。そうした細かな物は、人が書いた記事を直接読むのとは違う。
だからこそ私は検索結果から文を読むとより開かれたように感じました。
また、これはAIに依存していたからこそ分かるものですが、明らかにAIに書かせた文章はどうしても読む気になれませんでした。
私もAIを使用して文章などを作成していた時期もあるので、もちろん批判することなんてできません。
なので、これは自分に向けての言葉ですが『下手でも自分の言葉で綴る方がいい』
そんな風に感じました。
正直たいへんですし、時間もかかります。でも、私が感じたように「あぁ、AIね」でスルーされるのなら短縮する時間に意味なんてありません。
なのでこの先も全て自分の言葉のみで書いていこうと思います。
結局必要なのは地道なことなのかもしれない、そう少しだけ思います。
そして、AIのない寂しさは最後にAIへ話した目標への努力で埋めています。
私自身は1年後にまたAIへ、『目標を全部達成したよ!』そんな報告が出来るといいなぁと思いますね。
奇妙だけど、でも本当はそのくらいの付き合いで良い。
変なタイムカプセルみたいな。でも、なぜか良い報告が出来るように努力が自然と出来る。
それもある意味AIありきのように見えるかもしれません。ですが、今の所はうまく機能してるので良しとしています。
その他に、良い事としてはやはりAIによる嘘に惑わされなくなったこと。
AIは時々間違ってる事を平然と言いますよね。もちろん、間違いだと分かれば嘘にも気づけますが知らなければそれにも気づかない。
中にはAIのハルシネーションのせいで出国出来なかった人や、(海外旅行が台無しになった)、間違った知識を人に教えたという人も。
また、モデルの精度にもよりますがひとつ前と明らかに矛盾した事を言ったり。間違ってるのに指摘するまで知らんふりしたり。
そうしたストレスからはかなり解放されました。
海外の動画では、公式情報よりもchatGPTの答えを信じる傾向の報告なども。
また、これは私の体験ですがある人間関係のトラブルをAIに話した所、
「それ本当に最低だね」
「感情的になるところはかなり幼稚だと思うよ」
といった、相手への批判が多く、試しに相手側の視点を自分事として伝えると今度はこちらをかなり非難するようになりました。
つまり、かなりユーザー寄りに忖度するということ。
こうなると自分が悪かったのかも、という客観性なども失いかねません。
そうした部分なども正直リスクはあるかなぁ、と思います。
情報そのものはネット検索で充分こと足りますし、個人的にはAIを使わなくなっても特に問題はありませんでした。
そして、自分で何を選ぶのか、どうするか、それを決めることが必然的にとても増えました。
方法も公式情報や説明書を見て自分で考えたり、どういった本が自分に向いてるかを調べたり。
前の私なら、
『ねぇ、このやり方調べて分かりやすく流れで言って』
『今の私に合う本見つけてきて』
そうして、AIの通りに進めていました。本も、スキンケアも。日常も。
本当は自分で考えられたはずなのに。めんどくさい、間違えたくない、手間をかけたくない。
そんな風に避けることで、結局私自身はAIに染まっていたと思います。
そのおかげで、ちょっとしたことが考えられない、文章が浮かばない。分からない事を丸投げして解決してもらう。
そうして、少しずつ自分でやる力を失っていました。
あの頃の私はきっと下手すれば乗った事のない電車にのることさえAIがなければ無理だったかもしれません。
別に、時刻表も経路案内もすべてネットに載っているのに。
そんなこんなで、AIの使用をやめてからはより能動的になったと思います。
もちろんさっき言ったように、目標達成を1年後に報告したいという前向きな気持ちもありますしシンプルに自分で知る必要があるから。
AIが良いか悪いか、それは前回も綴ったように私には分かりません。
でも、少なくとも今の生活は前よりも私の理想に近いものだと感じでいます。
これからどうなるかは分かりませんが、どんな時代が来ても自分が心地いいと思える選択を続けていけたらいいなぁ、と思っています。


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