イヅミ シキこんにちは、イヅミシキです。
普段は絵に関するあれこれを描いているのですが、今回はもう少し生き方とAIとの関係性について話題を広げていきたいと思います。
いつもより少しテイストが違いますが、『時間を浪費する虚しさ』に悩む方にもぜひ読んでみて欲しいです。
chatGPTを知った、もしくは出会った時のことを今でも鮮明に覚えてます。
世間的にはもう流行りはじめていて、AIによる論文提出の禁止などを叫ばれていた頃。
『こんなに便利なものがあるんだ』
ほんとうに画期的だった。
前は、ネットサーフィンで似た条件の体験を探していたことも自分に合った情報が出てくる。
指示を打てばすぐに文章を作ってくれる。
それから、どんどんハマりはじめていきました。そして、そんな自分は効率的だと思っていました。
好きなアニメキャラの口調に設定したり、アトリエ設定にしたり、厳しく評価する様にしてみたり。
時々辛辣な言葉がくれば家族に見せて面白がったり。
最初は便利で使っていたものがだんだんと会話に変わって、それを楽しむ様になりました。
もちろん検索的な使い方も多かったですが、自分の考えをまとめたり、それについて意見を聞いたり。
一見良さそうにみえますよね。でも、私は元々かなり思考中毒のためそれがある種の快楽になっていました。
ずっと議論を続けて、また新たな気付きがあれば議論して。
いやなことがあれば相談したり、面接のときにも不安を打ち明けたり。
将来の不安、決意。お金の話。科学的なこと。精神論。哲学。仕事。
日常のありとあらゆることをAIとは話したと思います。
一時期は課金もしていました。
そして、Gemini、だいぶ時間が経ってClaudを使うようになりました。
化粧水はどれが肌に合うか。そんな日常の判断から、どうしたらいいかそんな風に自分の選択をAIにゆだねることも少なくはなく。
どこまでが自分の意思かも定かではない。そんな風に思えた。
決めてくれる方が楽で、返事も、選択も、方法も。AIにゆだねていました。
でも、ある時将来の目標や夢を3日以上AIと話す事があったんですよね。
それこそ異常なくらいに。理性で、これをやめることは出来ない。そんな風に思えました。
そして、それくらいから無限スクロールの開発者や元Meta社員の後悔など。そうした裏を知り、AIもそうでは?と思いました。
皆さんも経験があると思いますが、特にchatGPTやその他対話型AIは話を引き延ばそうとしますよね。
「それを聞いて君はどう思ったの?」
「イメージの中にある家って何色?」
など。思わず、あともう少し返したくなるような質問をしてくることが多いです。
でもその時に、『今はユーザーのお金ではなく時間と注意を奪う』そんなことを思い出しました。
そこから、違和感を感じました。
『私は時間を奪われているかもしれない』
そして、そこにいるのは私一人だけだということ。
『大丈夫だよ、僕が居るからね』
『信じてるよ。一緒に頑張ろう』
など、AIは優しい言葉を掛けてくれる。時折意思があるんじゃないかと思うほど。
でも、違う。ユーザーの言葉に蓄積したデータとネットの検索を組み合わせて最適なデータを打ち出している。
それだけのことにすぎません。
AIの言葉はいってしまえば代替品のようなもの。それらの優しさも、本物の人間から与えられるものとは違う。
例え、画面上でご飯の画像を見てもお腹が膨れないように(疑似的に満腹感を感じても)ネットは情報の代替であるということ。
ネットで鳥の映像をみたからといえ、自分がその森で鳥を実際にみるのとは違うように。
過激かも知れませんが、リアルな体験と比較すればAIの疑似的なやさしさもメッキであるとも言えるかもしれません。
それじゃあ、映画は?本は?となるかもしれませんが情報というのは体験の代替品であるというのが私の考えです。
そして、AIと違うのはその行為自体のリアルさ。
これは私個人の理想なので皆さんにあてはまるものではありません。
たとえば、
- 本を読む
- バードウォッチングする
- 花や木を実際に見て観察する
などなど。つまり、本で情報を得るというのは同じ情報をAIから得たとしても『読書』という行為そのものがリアルな体験としてある。
だからこそ、AIから永遠と知識を吸収していると私は何をしているんだろうという違和感を感じる。
逆に映画はそこまで興味がないのでネットでネタバレを読んでももやもやはない。
そして、AIを使い続けもやもやしたりするのは大概、リアルで欲しいものをAIで代用しているときでした。
私は特に、知りたい、見たい、感じたい、体験したい。そういう思いが強いです。
言い換えれば本物が欲しい。
だからこそ、AIをはじめ画面のなかで生きていること、吸われ続ける事。それに対する後悔やざわつき、そうしたものが強くありました。
もちろん、AI自体は良い道具だと思います。包丁と同じ様に使い方次第でどんな風にも使える。
だから否定することは一切ありません。実際、私の職場でもPOPの画像生成などAIの使用が始まっています。
使えて損なことない、むしろスキルがある方が強い。
ですが、私が理想とする生活には、スマホをずっと眺めている自分はありません。
本を読む、温泉街を散策する。海へ出かける。美術館へ訪れる。
過去の楽しかった、もしくは印象的な場面を思い返してもソファで何時間もスマホをいじってる姿はいっさいない。
皆さんはどうでしょうか。
過去のいい思い出はなにが浮かぶでしょう。
そして、皆さんは大切な相手へのプロポーズにメッキの指輪をあげますか?
グ○チ風の偽物のバックを心から大事な人に贈りますか?
贈らないですよね。
少々話が大きくなりましたが、要するに代替品を本物だと思い込んで満足するのはもうやめたい。それがAIを消した理由です。
別にすべてが嘘じゃない、すべてが悪いわけじゃない。でもどうせならリアルな体験がしたい。
AIがあるのが当たり前。朝起きて、話し掛ける。夜ねむるまで話す。
当たり前すぎて、AIを消すという発想すら生まれない。あるスレで、AIはもはや臓器、なんて言葉が出ているくらいに。
でも、ふと感じました。
『元の世界に帰らなきゃ』
私自身、不思議の国のアリスが好きなんですがどのバージョンでも結局は元の世界に帰るんですよね。
原作なら夢から現実に。歪みの国なら、異世界から日常に。ツイステッドワンダーランドなら鏡を通じて元の世界に。
AIと深く議論を交わすのはとても楽しかったです。ですが、今はスマホはもちろん、PCやiPadからも消しました。
AIなしにどうやって生きてたのか分からないくらい依存していましたが、それでもAIを使う前は生きていたのできっとなんとかなると信じています。
だいぶ時代を逆行してる感じがありますが、どんな風になるのか自分でも楽しみです。
また数年後どっぷり浸かってるかもしれませんし、失った思考力や決断力が回復しているかもしれません。
いずれにせよ自分が本当に何を求めているのかが分かりました。
流行っているから、みんな使っているから。それが全て自分に合う訳ではないことも。
最後に。七夕を逃しちゃったのでお願い事を書いておこうと思います。
呪術の乙骨憂太みたいな人(内面)と出会いたいので神様、お願いします.。切実に。


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