メンヘラ、かなり世に浸透したこの言葉。
そして、私はかなりのメンヘラだと思う。
お陰様で友達は一人もいない、というより続かない。
前の日記でも書いたけれどいつも自分から縁を切っちゃう。何で、って言われれば怖いから。いつまで友達でいてくれるのかが不安で、自分から壊してしまう。
つまり私は世にいう末期の部類なんだと思う。多分。
だからどうして、こんな風になってしまうんだろうって少しよく考えてみたら恐らく私は自意識がかなり強いんだと思った。
要するに、自分に対する意識が人よりかなり強い人間。自己愛といえばいいのか、それでも自分が好きじゃないからそうじゃないって否定したくなるけれど。でもやっぱり、ある意味自分が凄く好きなんだろうなぁ。
これは自己顕示欲とも繋がるのかな。それとも、愛されたがりなのか、はたまた構ってちゃん。要はとても面倒な人間らしい。
余裕のある人って、つまり周りの人をよく見れる人間だと思う。自分がどう思うかより相手がどう感じてどう思っているのか、きちんとそれを考えられる人間。周りの状況をきちんと見れるそんな人間。
対してメンヘラは、なんて主語を大きくするつもりはないけど私の場合は自分がどう見られるか。そればかりにいつも気を取られてる気がする。
自分の事しか頭にない。言葉にすると中々だよね、でもそれが現状だから今はそれで良いと思う。認める事が初めの一歩、それが一番大切な事だと思う。なんて言うと自己弁護に聞こえちゃうけどね。
自意識が強いお陰で、とにかく色々損をしてきた。
自分に向ける意識がどれほど強くても、中身が空っぽなせいで周りの言葉に一喜一憂する事がすごく多かった。いっぱいの瓶に水を入れるより、空の瓶に入れる方がそりゃあ沢山入るよね。
だから、人に過度な期待をしちゃうし他人に依存しやすくなる。典型的な芯のない人。ブレやすい人間。結果、哀しきメンヘラの出来上がり。
鏡を見て、泣く。そんなラブロマンス的な歌詞を一人で夜中にやってる時点でもう手遅れだよね。
自分に向ける意識が強いからこそ、より自分への反応を過度に気にしてしまうのかもしれない。
ファッションに拘りのある人間が『服をダサい』と言われたら、そりゃあ怒ると思う。逆に服に無頓着な人間が『その服ダサいね』と言われても「ふぅん、まぁそうかも」と流せるかもしれない。
けれどここで、ファッションが好きな人に高い自信があればきっと何のダメージも受けないだろうと思う。『私が良いと思った服だから素敵に決まってる』そういった、芯のある人間なら何を言われても恐らく平気なんじゃないかと思う。
結局私に必要なのは、空っぽな瓶を埋める作業と周りへの興味関心。決して周りの人達に興味がない訳じゃない。それでも、相手の先にまた自分がいる。結局、自分の為に相手を愛している。そんな気がする。だから苦しくなる。
ありのままの自分、今はそれを認めようと思う。傷付きやすい自分だとか。気にしやすい性格だとか。現実の自分が嫌いな事からつい、よく見せようとしてしまう悪い癖まで。
メンヘラを治すにはとても難しい事かもしれない。寧ろ治るものでもないのかもしれない。
メンヘラな部分も逆に絵に生かす事で、それが薄まっていくような、そんな希望的観測に委ねようと思う。今すぐにここから脱却出来るわけじゃないけれど。気付いたらあぁ、以前はそうだったと言える様なれたら良いな。
同じように悩む方がいたら、是非一緒に治したり逆にそれを活かしていけるよう頑張りたいと思う。
メンヘラに効くのは健康的な睡眠、という事で皆もちゃんと寝てね。最後まで読んでくれてありがとう。それじゃあ、おやすみ。
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