義務感に苛まれる絵描きの話

絵を描こうと思うと、吐き気がする

そんな経験をした事がある人は多分少なからずいると思う。

かくいう私も今は余り絵を描くのが楽しいと思えない。

描く事がどこか義務のように感じて気づいたら先延ばしのストレスに精神的な負担が掛かる、なんて状況がずっと続いてる。

『じゃあ、描かなきゃいいのに』って思うよね。

けれど、『描かない』間にまた『描かなきゃ』のストレスが溜まる

それでどうしてこう感じるようになったんだろう?っていう原因を自分なりに探ってみたりした。

もし、同じ様に感じている方がいたら参考までに読んでみてね。

原因として挙げられるのは第一に義務感。そして、固定概念。

何に関してもそうだけど『やらなきゃいけない』っていう気持ちはすごく気だるいものだと思う。

ジムに行かなきゃ、と思うと途端に面倒になったりね。

だから何事も「やらなきゃ」という思いが脳に気づかれる前にやってしまう事が重要なのかもしれない。

そして、『上手く描かなきゃ』という固定概念がより一層描く事の楽しさを奪うように思う。

でも『楽しく描く』という事は『上手く描く』よりもずっと難しいよね。

ラファエルのように描くには4年かかったが、子どものように描くには一生涯かかった

パブロ・ピカソ

どれだけ、楽しく描こうとしてもどこかで「上手く描かなきゃ」「すごい絵を描かなきゃ」「独創的でなくちゃいけない」なんて思いがどこかにある。

私の場合は、家族に絵を見られるのが凄い苦手だった。

描いてる最中後ろを通りすがられるのも嫌だし、それこそスケッチブックを勝手に見られでもしたらポエム丸出しの日記を見られたくらい絶叫したくなる。

どうしてかと言われたら、『下手だ』と思われるのが嫌だったから。

外でスケッチをしたり、絵を描いたりすることもあるけれどその時も同様に他人の目が凄く気になってしまう。

誰も見ていないのに勝手に他者の目を意識して、わざと上手く見える絵を描こうとする。本当はもっと思うままに描きたいのにあえて苦手なところを描かなかったり、得意なポーズだけを描いたり。

それらの義務感、もとい固定概念がどこから生まれてくるんだろう?と考えた結果完璧主義による怯えだって気づいた。

完璧主義といえば、なんかカッコイイ感じがするよね。それこそ先延ばしの原因=完璧主義が原因なんて聞いても何となくイメージが繋がらない、って自分の中で思ったり。

やっぱり完璧主義っていうと『完璧を求める孤高な天才!』みたいなイメージがあったんだけど多分それは漫画の中の話なのかもしれない。

私が今思う完璧主義は多分、『自分が求めるものを拘り強く追い求める事が出来る人』なんじゃないかと思う。

そこに世間的な価値観=上手い下手は存在しないんじゃないかな。私は、本当の意味で完璧主義じゃないから実際の答えは分からないけれど。

少し話を戻すと、楽しく描く事は上手く描くこと以上に難しいという事。

楽しいを貫く事は、きっとそこに至るまでの“傷つき”が生じて、そしてそれに遭遇することを自分自身どこかで恐れてる

これがきっと義務感の始まりで、何よりの呪縛だと私は思う。

それに気づいた上で、少しずつ絵を楽しんで描けるような、ある意味での鈍感さと純粋な気持ちを取り戻していきたいと思う。

それこそ子供が描きたいものを描くみたいに、ただ自分の表現したいものを世間の目を気にせず描けるようになれたらいいな。

もしも、私と同じように義務感に苛まれている方が居たら一緒に完璧主義を捨てて純粋に楽しめる、そんなマインドを作れたらいいね。

傷つくことも多分いっぱいあるかもしれないけど一緒に頑張っていこう。

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